坂井 孝一『鎌倉殿と執権北条氏 義時はいかに朝廷を乗り越えたか 』 | 東海雜記

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強い方が勝つんじゃない。勝った方が強いのさ。――ベッケンバウアー

 

鎌倉殿と執権北条氏

 

いよいよ明日(1月9日)から、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がスタートします。書店にも、昨年10月ごろから大河ドラマストーリーをはじめ関連本がずらりと並んでいます。

私の世代だと岩下志麻さん、石坂浩二さん主演の『草燃える』とつい比較してしまいがち。今回もキャスト紹介を見るたびに

「昔義時をやったマツケンが平清盛か」

「佐藤浩市の役は小松方正がやってた」

「中川大志の役は森次晃嗣だった」

と家族に説明しては、鬱陶しがられています。

またタイトルからは三谷さんの戯曲『12人の優しい日本人』を連想しました。もちろん歴史好きの方は二代鎌倉殿、源頼家治世の十三人の合議制だとすぐわかるでしょう。タイトルからして遊び心があると思います。

 

著者の坂井さんは今回のドラマの時代考証を担当されている方です。伊東祐親の娘(八重姫)や時政など、登場人物の設定などをみると、坂井さんが著書で描いている人物像に似通っている面があり、今回のドラマは面白そうです。もちろんドラマはドキュメンタリーではないので、自由な解釈で描いていますし、坂井さんは専門家なので、著書では無責任な想像は述べていません。まったく別物として楽しむべきなのでしょう。

 

ただ前回ドラマ(『草燃える』)でもそうでしたが、北条氏、特に時政、義時父子は政治力の高い野心家、並み居るライバルを次々に粛清して、弱小北条氏をナンバーワンにした、ダークなイメージがある――草燃えるでは純朴な青年であったマツケン義時が冷徹な政治家になっていくところが見どころでもありました――のですが、必ずしもそうじゃないよ、ということをこの『鎌倉殿と執権北条氏』や『源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか』では述べられています。

まさに「強いから生き残ったのではなく、生き残ったから強くなった」なのでしょう。

(『草燃える』は永井路子さんの『炎環』や『北条政子』などを原作として、当時としてはかなり斬新な描き方をされていました。永井さんの小説も乳母夫、乳母子の関係の重要さを描いて、従来にない解釈で話題を呼びました)

 

私は個人的に源頼家に関心があるので、坂井さんが著書で頼家、実朝の吾妻鏡で描かれたイメージを破り、実像に迫っていたのが非常に興味深かったです。それまでも五味文彦さんの『吾妻鏡の方法: 事実と神話にみる中世』などで実朝と義時像の見直しがされてきましたが、坂井さんの著書ではさらに一歩進めた感じがあります。

特に頼家、ダメな二代目のやんちゃな方の典型(もう一方のひ弱なイメージの典型は豊臣秀頼、あくまでイメージとしての話)として、経験豊富な老臣たちに阻まれ、ありあまったエネルギーをやんちゃな方向にぶつけた坊ちゃん、という描かれ方をされてきましたが、坂井さんは必ずしもそうじゃないよ、と述べておられます。

 

まあ、歴史の解釈というのは様々で、これが絶対正しいとういのはなく、新史料の出現や解釈も進んで10年後、20年後には全く別の歴史が物語れるのかもしれません。もしかしたら一周巡って、昔の解釈に戻ったりして。そこが面白いんですけどね。